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ゆきどまりの記

カテゴリ山縣有朋 1/1

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山縣の京都スポットざっくりまとめ@葉桜日記

『葉桜日記』とは…慶応三年五月二日に馬関を発つ日から、同年六月二十二日に三田尻に戻るまでの、山縣さんの滞京日記。たぶん和歌がメイン。自分の今後の京都観光のためにも、ここから、山縣さんが京で訪れたスポットを抜粋しておきます。知識がなさすぎるので、今後もうちょっとちゃんと調べます…。 ちなみに。この葉桜日記の序文では、「都のそらの雪見にと思い立ちしを、あやにく人の留めければこそ、虚しく止みにたるを(京都...

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山縣さんの神社にお参りしてきた

栃木に行って、山縣さんの神社にお参りしてきました!栃木県矢板市の山縣有朋記念館は、もともと山縣農場と呼ばれていた敷地内にあります。山縣農場は、明治17年に払い下げを受けた華族農場です。この矢板や那須野が原のあたりには、主として薩長閥の政治家達の華族農場がたくさんありました。この山縣農場に、山縣有朋を祭神とする「椿山神社」が存在することは、伊三郎伝記『素空山縣公伝』にも載っています。『素空山縣公伝』よ...

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素空山縣公伝に見る叔父と甥

山縣伊三郎の伝記『素空山縣公伝』を拾い読みしたので、個人的に気になったところめも。■山縣家の養子になったのは文久元年。伊三郎5歳、山縣さん24歳。いつ自分が死んで家系が絶えてもおかしくない状況で、甥を養子にしたと思われます。とはいえ山縣は当時から萩にいないことのほうが多いので、当然ながら実家の勝津家で育つ。山縣が萩に帰り、勝津家を訪れたときに顔を合わせる程度の間柄だったようです。■北越戦争中の山縣が、...

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