山縣有朋が観た芝居

『山縣公のおもかげ』に、わたしがめちゃくちゃ名文だと思っている、次のような一節があります。

「公は稀に芝居を見られた、人情のしんみりしたるものより、振事などのパッとした幕を喜ばれたやうだ。私も晩年數々帝劇などにお供したが、其の中で名和長年が氏族を訓めて勤王を誓ひ、天子を迎へて義旗を擧げるの場面と、高杉晋作が大志を包んで亡命する場面とは、一番身をいれて見られたやうに思ふ。殊に後者の場合は、當時自身關係の有つた爲めか、いろいろ批評などせられた、品川子が大に酒に醉つて憤慨する處を見ては、品川は當時から酒を飲まなかつたと語り、高杉が坂本龍馬と談る時に幸四郎が薩摩辨を使ふのを聞いて笑うたりされた。


去年の夏ごろの話ですが、山縣がどういった芝居を観ていたのか気になったので、ちょこちょこと調べていました。

早稲田大学演劇博物館の演劇上演記録データベースで調べました。
大学時代、近世文学のゼミに入っており、歌舞伎や芝居の上演記録を調べる機会がしばしばあったのですが、久々にそれをやりました。
『山縣公のおもかげ』著者の入江君曰く「私も晩年數々帝劇などにお供したが」ということなので、帝国劇場での幕末の上演記録をかたっぱしから(というか設立した大正元年~山縣が亡くなる前年の大正10年まで)見ていき、幕末維新に関係しそうな題材のものがないかどうか確認しました。
素晴らしいことに、帝劇で上演された芝居は当時のパンフも公開されていて、配役とあらすじを見ることができるのです!

結果!
十年間のうち、幕末維新関係の上演は3つのみでした!
大正元年9月 「勤王史蹟七卿落」
大正8年12月 「奇兵隊」
大正9年11月 「史劇勤王遺聞」

(このうち、「勤王史蹟七卿落」は七卿がメインであり、久坂や真木和泉や平野国臣は出てくるのですが、高杉や品川は登場しません。なので除外…)

さて大正8年の「奇兵隊」
結論からいうと、「高杉晋作が大志を包んで亡命する場面」というのは、この芝居のラストのことじゃないのかなあと思っています。

構成は以下の通り。
序幕 「長州湯田温泉の場」
二幕目 「毛利家政事堂の場」
三幕目 「袖付橋袂暗討の場、同農家介抱の場」
大詰 「下の関海濱の場」

以上からわかるように、元治元年9月の湯田が主な舞台となります!で、実在の人物としては、高杉、聞多、前原が主に登場します。
配役は、高杉が市川左團次、聞多が市川中車、前原は坂東壽三郎です。幸四郎は関係ないみたい・・・(しょんぼり)
※ちなみに、前原のみ「前原彦次郎」という名前に変更になっています。前原、当時は贈位されているとはいえ政治的には微妙な扱いだったかと思うのですが、この芝居の中では純粋に聞多と高杉の同志という役回り。終盤、高杉を捕えようとする敵役を切って捨てたりする素敵な役・・・!

ストーリーの基本軸は、まあ世外井上公伝に出てくるような御前会議から袖解橋の遭難における聞多の武勇伝です・・・(笑)
そこにオリキャラも絡んではくるのですが、基本は聞多大活躍、ときどき高杉って感じ?
あらすじを読む限り、袖解橋で遭難した聞多を見舞ったあと、追手から逃れて下関に潜伏していた高杉が、最終的に藩外に出ようとするところで幕。
なんか鯛党的に大きなイベントがすっ飛ばされているような・・・と思いますが、これが、「高杉晋作が大志を包んで亡命する場面」と言うことはできそうです。
高杉が亡命前に徳地の奇兵隊本陣を訪ねた話はもちろんスルーだし、タイトルが「奇兵隊」なのに奇兵隊全然関係ないけど、これを帝国劇場の二階席で観た山縣は何を感じたのかなあ、と思います。


もう一つ、大正9年の「史劇勤王遺聞」
「品川子が大に酒に醉つて憤慨する處」はこの芝居だと思います。

文久3年の8月18日の政変~七卿落ちまでを描いた芝居です。
実在の登場人物としては、高杉、久坂、平野国臣、品川、そして七卿など。
なんでその時期下関で教法寺事件の真っただ中にあるはずの高杉が京都にいるの???というのは突っ込んではいけない(※後述)

配役なんですが、この芝居の高杉役は幸四郎です!!!キター!!
しかも、二幕目で酒席の場面が出てきて、品川が酔って高杉のつくった都々逸を謡うシーンがあるのです!!!これでしょ!!!

この「史劇勤王遺聞」ですが、実は帝劇で舞台にかかる前に、山縣さんが脚本に関する批評を求められています。
高橋義雄『山公遺烈』に、大正9年10月27日、次のような記述が。
「今度明治天皇祭記念の為め帝国劇場十一月興行に勤王遺聞と題する勤王志士に関する三幕物を開演せしめんとするに因り其の脚本を公に読み聞かせて批判を乞はんとする趣向なるにぞ余は公の傍にて其第一幕だけを読みたるに是れは当時の大勢を示すに止まり其頃京都に居らざりし高杉晋作を主人公として活動せしむるなど全く事実に相違する所あれば
いちおう、上演前に突っ込みは入っています…(笑)

ということで、山縣さんが帝国劇場で観た高杉は、このふたつじゃないかなあ、という認識です。
ただし、いずれにも龍馬は出てこないので、「高杉が坂本龍馬と談る時に幸四郎が薩摩辨を使ふ」というのは未だによくわからない。これが今後の課題です…(´・ω・`)

山縣さんの晩年くらいになって、少しずつ幕末維新の頃の長州の志士も芝居のネタになり始めたのではないかと。データベースを流し読みした限りですが、こういう芝居は山縣さんの没後、もっと増えていく印象です。
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