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素空山縣公伝に見る叔父と甥

山縣伊三郎の伝記『素空山縣公伝』を拾い読みしたので、個人的に気になったところめも。



■山縣家の養子になったのは文久元年。伊三郎5歳、山縣さん24歳。
いつ自分が死んで家系が絶えてもおかしくない状況で、甥を養子にしたと思われます。
とはいえ山縣は当時から萩にいないことのほうが多いので、当然ながら実家の勝津家で育つ。
山縣が萩に帰り、勝津家を訪れたときに顔を合わせる程度の間柄だったようです。


■北越戦争中の山縣が、義兄であり伊三郎の実父の勝津兼亮に宛てた手紙の中で、何度か伊三郎について触れている。「伊三郎元気?」みたいな他愛もない書き方だけど、この時期の山縣さんはいつ命を落としていてもおかしくないし、そういう気持ちもあったかもしれないですね…。


■萩川島の厳島神社は山縣家の産土神。山縣も伊三郎も、子供の頃はここで遊んだ!
明治42年に厳島神社が春日神社に併祀される際、山縣はその跡地に碑を建てて、公園にしたとのこと。
山縣撰文の大きな石碑は、今も残っています!(まったく山縣関連史跡とは気付かず、写真を撮っていました…)

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■伊三郎が山口領内から出たのは明治3年。初めは大阪に出る。その後ほどなくして上京。富士見町の山縣邸に寓居していた(のちにこの邸宅は伊三郎が受け継いだ模様)
一緒に上京してきた友人・桂二郎と夜中に帰宅して、時には騒がしくして山縣さんに怒られることもあった模様。
「公の大阪に出たのは、三年頃で、間もなく予も公も出京して、公は老公(山縣のこと)の富士見町邸に寓して居った。予と公は互に相往来して居ったが、時としては深更に及んで山縣邸に帰ることがあった。然るに、公の室に入るには、老公の枕許を通過せねばならぬので、二人ともヒヤヒヤで帰臥したものであるが、時あっては、老公より御目玉を頂戴したこともあった。」



■明治4年にドイツに留学。当初は官費で陸軍留学生として軍学を学ぶ。しかし、留学中に近視になり、軍人としての道は諦めざるを得なくなる。
山縣を含めた周囲の人間も、健康面だけでなく、性質的にも軍人には向いていないという判断をしていた様子。
ここで早くも軍人山縣有朋の後継者としての可能性はなくなり、その後は私費で政法学を学ぶこととなります。


■明治8年、留学先で肺尖カタルに罹って帰国。東京の山縣邸で療養をしています。


■明治11年、ようやく病が治ったようで、外務省に出仕して翻訳見習に任じられています。
当時の翻訳見習は、外務官養成を目的としたもの。完全に養父とは別の道を歩んでいる印象です。
ちなみに月十円という安月給だけど、養父から月二十五円くらいの支給があったので、生活には困らなかったらしい。この当時も山縣邸から出勤している。


■愛知県書記官に任じられた当時のエピソード。(山本武三郎談)
「当時吉村収税属が私に対して『山縣大将の居候が書記官に為ったとの電報が入ったそうである』との話であったので、私は『そう云うことは無かろう』と云い、善く調べて見れば『居候』は『伊三郎』の誤字であったことが発見せられて一の談話と為った」



■東京府書記官だった頃のエピソード。なんと当時の知事は三浦梧楼w
「一日、公(伊三郎)は府庁の一室に於て、三浦知事と協議しつつありしが、俄然として強震に襲われたれば、公は知事を拉し去りて外に飛び出でしが、其の一刹那に、一室は忽ち倒れたり。是れ実に明治二十七年六月の地震なりき。公は他日人に語り手『吾等二人は如何にも熱心に熟議中、強震に襲われ、急に飛び出でしが、今一歩遅れたらんには、二人共に震死すべかりしなり。是れ予が長歳月の官吏生活中、死中活を求めたる一なり』と云えり。」


■隆子夫人は加藤弘之の娘。山縣が石黒忠悳男爵に依頼して、伊三郎に相応しい縁談を探してもらう。
ちなみに媒酌人は伊藤博文夫妻。


■あくまで後継ぎは伊三郎。
「老公は伊三郎を養嗣としたのであるが、其の後ち、老公には餘一、春一と云う二人の男子が生れ、間もなく蚤世したのであった。次に朋輔と云う男子が生れた。当時、伊三郎君は、山縣家に其の後嗣が出来たので、自ら其の養嗣たることを辞せんと申出でたことがあった。然るに、義理固い老公は之を聞き『汝は吾輩を以て約に負くものと思うのである乎』とて、痛く伊三郎公を叱られた。而して老公は朋輔をして萩原姓を冒し、同家を再興せしめた。老公が平生非常に義理を重んじ、苟もせざる人物であったことは之に由りて其の一班が窺わるるのである。」



5歳で養子になった伊三郎が、実際に山縣家の当主でいた期間は僅か6年。
山縣関連の本を読んでいても、伊三郎について触れられていることはほとんどないですが、養父の栄典に影響されまくる数奇な運命だったのだなあと思います。
国軍の父の養子でありながら、健康面でも素質の面でも軍人向きではない人で、たとえ養子になっていなくても官吏として活躍してそうではある。
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