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山縣有朋、幻の除幕式スピーチ

明治44年5月20日、山口県厚狭郡吉田村清水山にて、高杉晋作の顕彰碑除幕式が執り行われました。
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当日、会場で井上馨が声涙下る大演説を2時間(諸説あり)くらいぶちかまし、参列者が日射病でバタバタ倒れた話は有名ですよね!

しかし、この除幕式に、実は山縣有朋が病気のために来られなかった、という話はほとんど知られていないのではないでしょうか。
そうして、除幕式当日、山縣からの祝辞(?)が墓前で代読されていた、という話はもっともっと知られていないのではないかと思います!
ということで、コレは山縣有朋による幻の除幕式スピーチについてアピールしたいがための記事です(笑)

ソースは、『日本及日本人』の677号(大正5年発行)、高杉東行特集の号に載っている、五十崎杏沖という新聞記者による「東行先生の墳墓と奇兵隊」という記事です。
(私が読んだのは、東行庵発行の『高杉東行先生 : 復刻・『日本及日本人』六七七号より 』という本なのですが・・・)

山縣の祝辞については、本文中にも
「此日山縣公は微恙の故を以て蒞まなかったが、恭しく謹告の詞を寄せて先生の墓前に代讀せしめた」
と書かれています。
(難しく言っているけど軽い病気で行けなかったとかそんなかんじですね)

そんな幻のスピーチ原稿が、以下の通り。
漢字はできる限り原文のまま。


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山縣有朋、稽首再拜、謹んで亡友高杉晋作君の墓前に告ぐ。

嗚呼、君の逝きしより茲に四十五年、往時を回顧すれば恍として夢の如し。
然れども君の音容は、宛として尚眼前に在り。

君は交通極めて廣く、當時の俊傑は殆んど皆な君が金蘭簿中に在りたりと雖も、同じく奇兵隊に頭領として死生を共にし心々相許したるは、恐らく有朋に過ぐるものなかるべし。

君が逝きて後、鳥羽伏見の一戰を經て、王政忽ち古に復し、爾來皇運の隆なる、國威の盛なる、殆んど前古に類例なし。
明治二十七八年には清國と戰ひて全勝を博し、三十七八年には世界の强國露西亞と戰ひて又大捷を奏し、去年八月には竟に朝鮮を併合して皇國の領土となし、以て祖宗の皇謨を成就することを得たり。

有朋等生れて聖明の朝に事へ、幸に殘喘を保ちて此盛事を観る、未だ曾て君と其樂を同うせざるを恨まざるはあらず。
君元稀世の才、機略縦横、得て端倪すべからざるものあり。
天若し年を假さば、其有朋等を指導して君國の爲に大業を立つること、固より非常なるを疑はず、不幸壯年にして没す、豈哀しからずや。

前年伊藤井上等の諸友と胥謀りて君が爲に碑を建て、聊か追慕の情を慰す。
而して今や伊藤が兇徒の毒手に罹り客地に横死して、又兩年を經たり、當時事を共にする者、寥々として晨星も啻ならず。
墓前に拜讀して、自から感慨に堪へざるなり。

後死の友人、山縣有朋、稽首再拜、謹んで告ぐ。



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うん、シンプル。笑
この祝辞の存在について知る前から、もし山縣が除幕式に出席していても、何を話すのか想像できないよなぁ・・・などと思っていたんですけど、実際読むと「ああ、山縣らしいな・・・」という感想しか浮かばなかったです。

私が好きなポイントとしてはまず、
「然れども君の音容は、宛として尚眼前に在り」
という部分です!
「瓢酒 君がすすめし有様は 目にも耳にもなお残りけり」という歌と同じ雰囲気ですよね。

そして、最高に好きなのが、
「君は交通極めて廣く、當時の俊傑は殆んど皆な君が金蘭簿中に在りたりと雖も、同じく奇兵隊に頭領として死生を共にし心々相許したるは、恐らく有朋に過ぐるものなかるべし」
ですね!!!!!!
ざっくり現代語訳としては、「君は友達多くて交友関係広いし、当時の俊傑はみんな君と友達だったかもしれないけど、奇兵隊のトップとして死生を共にして心を許しあったのは、まあ自分だけだと思う」
という!!!!!
何ソレ・・・控えめ・・・スキ・・・となりました。

やはりこのふたりの間を強く結ぶものが、他の何でもなく奇兵隊なんですよね。
山縣と高杉が同時期に奇兵隊であった時期ってたぶんゼロなんですけど、それでも、山縣と高杉の関係において、奇兵隊というのはめちゃめちゃ大きいわけです。

あとわたしも山縣と同じく友達少ない側の人間として、交友関係広い相手に対するこのスタンスには共感しかないぞ、という感じです(かなしい)
でも奇兵隊で生死を共にして一緒に命をかけてきたのは自分だけ、という自負もあって、良い。

あとはまあ、わりと無難な内容ですね・・・。
私が高杉の思い出話をする山縣のことが好きなのは、エピソードを盛ったり、極端に持ち上げたり、逆にくさしたりするのではなく、淡々と語るからです。(懐旧記事参照)
相手が45年も前に亡くなっているのに、「生前は親友だった!」「めっちゃ可愛がられていた!」「素晴らしい人だった!!!」とか嘘でも言わないあたりが山縣クオリティ。
そういう淡泊な言葉選びは、当日、この代読の後に演説をぶちかます井上馨の情が溢れる熱い演説とは好対照で、好きだなあ、としみじみ思うのでした。

あとは、「君」っていうのが二人称っぽくていいなあとか思ったりします。井上のスピーチだと「高杉君」と言っていて、三人称っぽいんですけど。


ということで明治44年5月20日、除幕式に参列した吉田村の小学生になりたい。いや、むしろ、コレを代読する人になりたい人生だった・・・。
(ちなみに、井上馨の2時間演説は、東行庵発行の『高杉晋作の歌』という冊子に全文収録されています)
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