FC2ブログ

東行記念館に行ったら高杉と山縣の寄せ書き枕が見れた話

GW休みを利用して下関に行ってきました。

もちろん、個人的な最大の目的は吉田にある東行庵!
普段は入ることができない東行庵の建物の中が、GW期間中限定で公開されているのです。
が、それは置いておいて、今回は東行記念館で開催中の企画展、「高杉晋作の素顔―流水奔波の29年」のお話。

東行記念館は年1ペースで来ているので、ある程度心の余裕もあり、そこまで焦ることなくゆったりと見学するつもりでした。
順路に沿ってみていくと、少年時代に使っていた文机や、入江九一宛の書状、写真アルバムやなど、初めて見るものも見たことがあるものも展示されているので、興味深く見ていました。
しかし、半分くらい見て回ったところで激しく動揺。

功山寺決起のときの具足一式!!!!

東行記念館ではわりと頻繁に展示されているようですが、私はしっかり見たことがありませんでした。
高杉が決起したときに身につけていた腹巻・小具足は、かれの死後、形見分けとして、葬儀の世話人でもあった山縣に与えられたものでもあったのです。(兜は別)

いいものが見れたなあ、と思いながら順路を進んでいったら、最後の展示スペースで次なる動揺が。


山縣にプレゼントした挙句惜しくなって返してもらった瓢箪!!!!


高杉晋作といえば腰にぶらさげた瓢箪で酒をのむ、というパブリックイメージを形成する原因をつくっているこれ・・・
(10年くらい前にオードリーがラジオでそういう話をしていて、「そこまで浸透してるん???」とびっくりした思い出)

ちなみに山縣は、高杉の没後50年の遺品展でこの瓢箪に再会し、「ひさご酒 君がすすめし有様は 目にも耳にもなお残りけり」という和歌をつくったりしています。
実物、想像の三倍くらいでかいな・・・と思いました。
ちなみに、この「高杉が山縣に瓢箪返してって頼んだ手紙」は、慶応元年12月30日に書かれたとされています。


「山縣ゆかりの品多すぎない・・・???」と思いながら視線を移して、この日いちばんの動揺をすることになりました。


木枕がある???!!!!!

これに関しては、去年『吉田・晋作・東行庵』という、東行庵発行の書籍で存在を知っており、気になっていたものでした。
DSC05149_convert_20180513233521.jpg

存在を知ったときのツイート↓


この写真だけでは何が書いてあるのかもわからないし、裏に山縣の和歌が書かれているというのも気になるではないですか・・・。
一応、『高杉晋作史料』にもこの木枕に書かれた高杉の漢詩のことは載っていますが、詩の内容の解説がなくて意味がわからないという現実(悲しき無教養)。
山縣の和歌に至っては、「反対側に素狂ほか一名の歌が書き付けられている」としか記述がありません。
木枕の箱には由緒が書かれているらしく、この枕は宮市(防府)の小山市右衛門という人の家に伝わっていたものということ。小山家には、高杉や井上聞多はじめ、政府役員が宿泊する機会が多く、そのときに買い求められたものらしいです。

「東行記念館で展示してくれーー!!!」などと日々ツイッターで騒いでいたのですが、いざ目の前にするとびっくりしていまいます。

ちなみに、上の写真は山縣の和歌が書かれている側のようです。
(左側の見切れているほうがたぶん山縣の書いたもの)
この裏の、高杉の漢詩が書かれている側を向けて展示されていました。
ちょっと頑張ってみたけど、角度的にどうやっても裏側の山縣の和歌など見えそうもないし、そもそも高杉の漢詩も意味がわからないし、寄せ書きをしているもう一人の人物も気になる・・・。

「せっかくここまで来たのに、謎を残したまま帰るわけにはいかない!ということで、学芸員さんに質問をしてみました!

「『高杉晋作史料』で見たんですけど、裏にも何か書いてあるんですよね?」という、我ながら白々しい質問を引っ提げてお伺いをしたところ、非常に親切に教えていただくことができました。
曰く、「裏には山縣有朋ともう一人の和歌が記されている」と。
ただ、文字が非常に読み取りづらく、もう一人の人物が誰なのかはわからない、ということでした。
山縣の和歌についても、翻刻したものを見せていただきつつ教えていただきました( ;∀;)
ふたりの詩と和歌は以下です!

◆高杉の漢詩◆
夜深繍匣
収絃子触
枕金釵独
有聲

東行一狂生  東行


◆山縣の和歌◆
玉水の伴ふ音の
静けさに夢
も軒端をめ
くる夜半かな

素狂


学芸員さんに教えていただいた高杉の漢詩の解釈としては、「絃子(三味線など)も匣に仕舞われているため、簪が枕の木の部分に当たる音だけが響く、静かな夜更け」について詠んだものだということです。なるほど!
山縣の和歌についてはきちんと解釈をしていないものの、同じように「夜の静けさ」について詠んだものだということでした。
テーマを決めて寄せ書きしていたのでしょうかね…ほああ(*´Д`)

もうこれを教えていただけただけで、下関にいった目的が100%達成できた気がします。
その節は本当にありがとうございました!!!!私は今後も東行記念館を推してまいります!!!!

他にも質問したいことは山ほどある気がしたけど、口を開けば山縣の名前しか出てこなさそうだったので、やめておきました。

なお、もう一人の人物について、最初は安易に「福田侠平では?」と思っていたんですが、この三人が一緒に宮市の商家に宿泊する機会があったのかどうかは微妙ですね。
高杉の慶応元年8月24日の漢詩で、「花浦(防府)の山根宅で山縣・大田市之進と飲んだときに詠んだぜ!」というものがあるんですが、このとき一緒にいたらしい大田市之進とかいう御堀耕助なんて怪しいのでは?と思っています。
崩し字読めるえらいひと、読んでください・・・(他力本願)

なおこの企画展は6月24日までやっているので、興味がある方はぜひ吉田東行庵へ!('ω')
スポンサーサイト

コメント 0件

コメントはまだありません

コメントをどうぞ