FC2ブログ

山縣の京都スポットざっくりまとめ@葉桜日記

『葉桜日記』とは…
慶応三年五月二日に馬関を発つ日から、同年六月二十二日に三田尻に戻るまでの、山縣さんの滞京日記。たぶん和歌がメイン。
自分の今後の京都観光のためにも、ここから、山縣さんが京で訪れたスポットを抜粋しておきます。知識がなさすぎるので、今後もうちょっとちゃんと調べます…。
 
ちなみに。
この葉桜日記の序文では、

「都のそらの雪見にと思い立ちしを、あやにく人の留めければこそ、虚しく止みにたるを(京都で雪見をしたいと思い立ったのに、ある人に留められて、断念せざるを得なかったよ…)

「今年はと思い立ちしを、人々何くれとなく言いて留めければ今日といい昨日と過ぎて(今年こそ京に行きたいと思ってたのに、人々に何やかんやと止められてるうちに月日が経っちゃったよ…)
 
というような愚痴が二回にわたってつらつらと書かれています。
留めた人=高杉という風潮…(山縣さんの上京は、木戸さんとか前原も支援してくれてて藩命も出ていたので、留めるような人っていうのは高杉くらいしかいないのだ…)
 
そんなわけで、高杉が亡くなって上京への障害もなくなり(書いてて悲しい)、葬儀から一か月も発たない五月二日、薩摩船に乗って馬関を発ちます。
 
京に入るまでの流れをざっくり↓
5月2日 馬関発 見送りは久保松太郎、福田侠平、滋野謙太郎、伊藤伝之輔、河北義次郎、山本重助など。※ちなみに同行するのは鳥尾小弥太。
7日 大坂着。江戸堀の薩摩藩邸に入る。
8日 心斎橋で写真を撮る。
9日 淀で川舟に乗り、夜中伏見に入る。
 
 
そして翌10日から京都滞在記になります。(以下、原文を勝手に漢字に変換して抜粋しています)
 
5月10日
「昼過ぐるころ相国寺なる薩摩の藩邸に至る」
葉桜日記の頃の滞在場所は、現同志社の二本松薩摩藩邸でした!!!
 
5月11日
「薩摩の人たちと東山の曙楼に遊ぶ」
曙楼=明保野亭ですかね???
 
5月16日
「今日は薩摩の人々と東山に遊ぶ」
東山でよく遊んでるな…
 
5月18日
「昼過ぐるころ西郷吉之助のところに至る」
京都の西郷邸って結局どこなんでしょうか…
 
5月21日
「今日は北野平野などの御社に詣づ」
北野天満宮と平野神社にお参りに行ったようです。天満宮…。
「二条城わたりを経て堀川に出て夕つかた宿りに帰る」
二条城あたりも歩いていた模様。心の目案件!
 
5月28日
「東山より白河橋のほとりに遊ぶ」
また東山にいるのか…。
 
6月5日
「過ぎし子の年水無月の今日わが友なりける杉山律義吉田年丸など相謀りて国のためにと思い起こししこととありけるがその事ならず身まかりたるそれが墓に詣で」
池田屋事件の日に、お墓参りに行っていたらしいです…
これって霊明神社のことで良いんでしょうか(元治元年は長州にこもっている高杉と山縣ばかりを追いかけてるせいでこのあたりめっちゃ無知です…)
 
6月7日
「食後薩藩士と相国寺に至り蛍火を見」
相国寺に行っていたらしい(薩摩藩邸から近いしね…)
 
6月17日
「四条の橋のほとりより高瀬の舟に乗る」
京都を発つ日。
ここから淀に出て大坂に向かい、そこから三田尻に向かいます。帰路の同行者は、品川&鳥尾と田中顕助でした!
 
 
とりあえず葉桜日記を読んでいて思うのが、「天気悪…」ということです。どんより。梅雨時なので。そんな日々の中、西郷と出会ったり島津久光に拝謁したりしたのだなあ…。
 
 
スポンサーサイト

コメント -件 0件

コメントはまだありません

コメントをどうぞ

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。